あなたは「座右の銘」を持っていますか?
座右の銘は、前向きな人生の指針となる言葉や自己の励ましのための言葉、
反対に自己を戒める言葉などさまざまなものがあります。
選び方には厳格な決まりはなく、選択肢は無限に広がります。
「どんな言葉が自分に合うのかわからない」という方もいるでしょう。
そこで、座右の銘にぴったりなことわざ・格言・名言を100個厳選しました!
きっと、あなたにぴったりの言葉が見つかりますよ。
座右の銘とは?
【座右の銘】読み方は「ざゆうのめい」です。
言葉の由来には「座る場所のすぐ側、身近なところ」という意味が込められています。
また、「右」を選んだ理由にはいくつかの説があります。
・右には「助ける」という意味がある説。
・古代中国の皇帝が信頼できる家臣を右側に座らせていたという説。
・古代中国では右側の位置が高かったという説。
・右利きの人が多いため、右手で手の届くところという説。
「銘」は一般的に金属や石に刻まれた名前や言葉を指します。
つまり「座右の銘」とは、
人生の中で自己励起や戒めの為に心に留めておくべき言葉であります。
座右の銘には故事や四字熟語を含むことわざ、格言、名言などが
選ばれることが一般的ですが、固定された決まりはありません。
100選の「ことわざ・格言」で座右の銘を見つけよう!
座右の銘におすすめの「ことわざ・格言」を100選し、その意味も解説しています。
自分にぴったりの座右の銘を見つけてくださいね。
【あ行】
青は藍より出でて藍より青し
読み方:あおはあいよりいでてあいよりあおし
弟子が師匠の腕前を超える例えです。
昔、青い染料を作るために「藍(あい)」と呼ばれる植物を使用していました。
藍の葉は本来青くありませんが、処理を経てより美しい青が生まれることから、
元よりも優れているという意味合いが込められています。
由来は古代中国の儒学者、荀子(じゅんし)の
「学問は、これで終わりだと思ってはいけない。青は藍から作られるが、藍よりも青い。」という言葉です。
浅い川も深く渡れ
読み方:あさいかわもふかくわたれ
浅い川であっても、どこで足を取られるかわからないため、
慎重に深い川と思って注意深く渡りなさいという意味が込められています。
全てのことに対して油断せず、慎重に行動することが大切であるとの教訓を示しています。
明日は明日の風が吹く
読み方:あしたはあしたのかぜがふく
将来の出来事に過度に心配することは無駄であり、
その日になってから対処すべきだという意味合いが込められています。
過去や未来のことにこだわりすぎず、現在を大切にすることを促す格言とされています。
由来には複数の説があり、映画「風と共に去りぬ」の主人公のセリフ「Tomorrow is another day.」を和訳したものが由来という説。
昭和初期の講談・落語において
「明日は明日の風が吹く」という言葉が使われていたとの説が存在します。
雨垂れ石を穿つ
読み方:あまだれいしをうがつ
小さな努力を持続することで、
最終的には成功につながるという意味合いを持っています。
このことわざは「漢書」と呼ばれる中国の歴史書に由来し、
家臣が君主に忠言する際に「雨だれが年月をかけて石を削り、やがては石に穴を開けるように、小さな努力でも積み重ねれば大きな成果につながる」と述べた言葉です。
雨降って地固まる
読み方:あめふってじかたまる
悪い出来事があった後には、逆に基盤が強固になることを表しています。
雨が降ることで地面がしばらくぬかるむが、その後にしっかりと固まる様子が起源となっています。
蟻の思いも天に届く
読み方:ありのおもいもてんにとどく
小さな蟻でさえ、一生懸命に努力すれば
その願いは天に届くというメッセージが込められています。
弱者でも真剣に努力することで、
夢や希望をかなえることができるというたとえとして用いられます。
案ずるより産むが易し
読み方:あんずるよりうむがやすし
物事を心配するよりも、
実際に行動に移す方が簡単であるという意味合いが込められています。
特に初めての出産において、
事前の心配よりも実際は予想以上にスムーズに進むことが多いとされ、
これが言葉の由来となりました。
このことわざは、初めての出産を迎える妊婦に対して、
経験豊富な女性が励ましの言葉として言うようになったのが由来という説があります。
言うは易く行うは難し
読み方:いうはやすくおこなうはかたし
「難し」の読み方が「かたし」ではなく、「がたし」です。
何事も口で語ることは容易だが、
実際にそれを実践するのは難しいという趣旨を持っています。
中国前漢時代の学者である桓寛(かんかん)の著書「塩鉄論(えんてつろん)―利議(りぎ)」に由来しています。
「言者不必有徳。何者、言之易而行之難」
「言う者は必ずしも徳あらず。何となれば、之を言うは易くして、之を行うは難ければなり」
「立派なことを言う者が必ずしも徳があるとは限らないのである。どうしてかと言えば、口で言うのはたやすいが、それを実際に行うことこそむずかしいからである」という意味が込められています。
塩鉄論は、前漢の始元6年(紀元前81年)に、塩・鉄などの専売制度に関する朝廷の議論をまとめたものです。
怒りは敵と思え
読み方:いかりはてきとおもえ
感情の中でも怒りは相手の恨みや怒りを招き、
結局は自分の身を滅ぼす原因となり得るという趣旨を含みます。
この教訓は戦国時代の武将である徳川家康によるものであり、
怒りが不必要な対立を生むことや、
最終的には自分自身を破滅に導くことを警告しています。
石の上にも三年
読み方:いしのうえにもさんねん
氷の冷たい石の上でも、三年間座り続ければ石が温かく感じられるように、
最初は苦しい状況も三年間我慢すれば報われることがあるという意味を持っています。
ここでの「三年」は具体的な期間ではなく、長い年月を指しています。
このことわざは「どんなに厳しい状況でも、あきらめずに長期間にわたって努力し続ければ、
最終的には成功や報酬が得られる」という前向きなメッセージを伝えています。
石橋を叩いて渡る
読み方:いしばしをたたいてわたる
物事に対して用心深く、慎重に行動することが重要であると教える言葉です。
昔の橋は木製が一般的であり、その中でも石橋は頑丈さが期待されていました。
しかし、見かけが頑丈でも石橋も壊れる可能性があるため、
確認のために叩いて安全を確かめてから渡ることが必要だ
という意味合いが込められています。
急がば回れ
読み方:いそがばまわれ
迅速に目標を達成しようとするとき、
危険な近道を選ぶよりも、安全で確実な遠回りを進むことが得策だいうことです。
室町時代の連歌師である宗長(そうちょう・1448年~1532年)が詠んだ
「もののふの矢橋(やばせ)の船は速けれど急がば回れ瀬田の長橋」に由来しています。
武士(もののふ)を指す言葉が使われ、
琵琶湖の渡し船(矢橋の船)が東海道五十三次の草津宿(現在の滋賀県草津市矢橋港)と大津宿(現在の大津市石場港)を結んでいた背景が描かれています。
当時、京都へ向かう途中には陸路と水路の二つの選択肢がありました。
陸路は琵琶湖南側の「瀬田の長橋」を通るが、これは遠回りとなりました。
逆に水路は琵琶湖を渡るため距離が短いものの、比叡山からの強風の影響を受け、
危険かつ遅延の原因となりました。
一か八か
読み方:いちかばちか
結果が上手くいくかいかないか予測できない状況で、天に運を任て挑戦してみること。
サイコロを使った賭博である「丁半博打(ちょうばくち)」に由来しています。
サイコロの目の合計が奇数(半)か偶数(丁)かで賭けるます。
「一か八か」は大胆に未知の結果に挑戦することを象徴しています。
「丁」と「半」、それぞれの漢字の上の部分をとると「一」と「八」になることが由来で、
「丁か半か」が「一か八か」と同じく結果が予測できない状況を指す表現となります。
一芸は道に通ずる
読み方:いちげいはみちにつうずる
一つの分野において深い知識と熟練した技術を持つことは、
他の領域においても物事の理解が容易になります。
あるいは、異なる分野においても効果的な方法を見つけ、
巧みに取り組むことが可能となるという意味です。
この言葉で言及されている「一芸」は、時間をかけて専念し、
ある一つのスキルや技術を極めることを指します。
そして、「道」は物事の本質や理にかなった進むべき道理を示しています。
一期一会
読み方:いちごいちえ
一生に一度しかないと考え、出会いを大切にし、
その瞬間に心を注ぐことが重要であると教えています。
この言葉は茶道から派生し、千利休せんのりきゅう・戦国時代から安土桃山時代の茶人)に由来しています。
弟子である山上宗二の「山上宗二記」では千利休が口にした「一期に一度の会」は、
一生に一度しかない特別な出会いに対する誠実な態度を示唆しています。
この思想は、仏教の概念である「一期」が一生を指すことから、
茶会などでの出会いが生涯に一度しかない貴重なものであるとして、
真摯に接するべきだと訴えています。
一念天に通ず
読み方:いちねんてんにつうず
ある一つの目標に心を集中させることで、
その思いは天に届き、必ず達成されるという考え方です。
一寸の光陰軽んずべからず
読み方:いっすんのこういんかろんずべからず
たとえ短い時間でも、無駄にしてはいけない、
時間はあっという間に過ぎ去るという教訓です。
「一寸」はわずかな時間、「光陰」は時間や年月を指します。
中国の儒学者、朱子(しゅし・1130年~1200年)の詞
「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず」がこのことわざの起源です。
一銭を笑う者は一銭に泣く
読み方:いっせんをわらうものはいっせんになく
僅かな金額であっても軽視し笑う者は、
いずれその小さな額に困ることになるという戒めです。
金銭は少額でも軽んじずに大切にすべきです。
「一銭」は昔の通貨で、「一円を笑う者は一円に泣く」とも言い換えられます。
井の中の蛙大海を知らず
読み方:いのなかのかわずたいかいをしらず
井戸の中に住む蛙は、
大きな海など井戸の外の広い世界を知らないという比喩です。
狭い範囲の知識で物事を判断することは避け、
広い視野で考えることの大切さを説いています。
中国の思想家、荘子(そうし・紀元前369年ごろ~紀元前286年ごろ)の言葉
「井戸の中にいる蛙はずっと狭い世界しか見たことがなく、海を見たことがないため、
視野が狭くありきたりの知識しかない」という教えから派生しています。
因果応報
読み方:いんがおうほう
良い行いには良い報いが、悪い行いには悪い報いが返ってくるという法則を指し、
どんな行動も結局は自分に返るという意味が込められています。
因果は「原因と結果」、応報は「報い」を示します。
因果応報は仏教の教えで、前世の行いが現世の運命に影響し、
現世の行いが来世に影響を与えるとされています。
この法則により、人は自らの行為に対して責任を持たねばならないとされます。
例えば、「彼が成功したのは、過去に行った善行の報いだろう」
といった言葉でこの概念を表現することがありますが、
逆に「彼が失敗したのは、悪い行いの報いだ」というように、
否定的な側面にも使われることがあります。
魚心あれば水心
読み方:うおごころあればみずごころ
魚が水に親しむように、相手に対して親しみを示せば、
相手も同様に親しみを示すという考え方を表す表現です。
このことわざは、相手に対して好意を持ち、心を開くことで、
相手も同じように応じてくれるという人間関係の原則を示しています。
また、相手の態度によってこちらの対応が変わるとも解釈されます。
このことわざは、人間関係において相手に対して積極的な態度を持ち、
信頼を築くことが大切であることを教えています。
例えば、「新しい同僚には積極的に声をかけ、魚心あれば水心の関係を築こう」
といった言葉で用いられることがあります。
馬には乗ってみよ人には添うてみよ
読み方:うまにはのってみよひとにはそうてみよ
馬の性格や能力は乗ってみないとわからないように、
人の性格や資質も接してみなければ理解できないという意味が込められています。
このことわざは、あるものや状況に対して予断を排し、
実際に経験してみることの大切さを説くものです。
先入観や先入りの判断だけでなく、
実際の経験が大切であるというメッセージを含んでいます。
江戸時代初期の俳人・松江重頼が著した「毛吹草(けふきぐさ)」に登場する
「馬には乗ってみよ人には添うてみよ」という言葉が、
このことわざの由来とされています。
縁の下の力持ち
読み方:えんのしたのちからもち
裏方として、一般的な視線には届かない場所で黙々と努力し、
他人のために尽力することを指す表現です。
この言葉は、「縁の下」とは通常目立たない場所を指し、
その下で働く人々が組織やイベントの成功に貢献していることを強調します。
大阪の名刹である四天王寺の「椽(えん)の下の舞」が由来となっています。
この舞は、一般の観客には公開されず、主に経供養(きょうくよう)と呼ばれる仏教の行事で奉納されていました。
経供養は、経文を写してそれを仏前に供え、法会を開催して仏法を説く儀式です。
「椽の下の舞」は、観客には知られることなく黙々と練習され、
その努力が法会に向けられていたことから、
「椽」の読み方を同音の「縁」に変え、
影で黙々と努力する人を指して「縁の下の舞」と呼ばれるようになりました。
そして、この表現が進化し、「縁の下の力持ち」という言葉に変わっていきました。
なお、現在では経供養は公開され、毎年10月に四天王寺で行われています。
起きて半畳寝て一畳
読み方:おきてはんじょうねていちじょう
このことわざは、人間が起きているときに必要なスペースは半畳分であり、
寝ているときに必要なスペースは一畳分で足りるという教えを含んでいます。
物事に適度な範囲を保ち、
贅沢や欲張りな態度は慎むべきだという意味合いが込められています。
時には「天下とっても二合半」が追加され、
「起きて半畳寝て一畳、天下とっても二合半」となります。
このことわざの由来は特定されていませんが、
織田信長(おだのぶなが・1534年~1582年)や豊臣秀吉(とよとみひでよし・1537年~1598年)、
夏目漱石(なつめそうせき・1867年~1916年)が語ったとされることがあります。
思い立ったが吉日
読み方:おもいたったがきちじつ
「思い立つ」は物事を実行にしようと決心することで
「吉日」は縁起の良い日を指します。
このことわざは、何かを始めようとする時は決断した瞬間が最も適したタイミングであるという信念を表しています。
思い立ったら即行動し、好機を逃さないようにすることの重要性を教えています。
思う念力岩をも通す
読み方:おもうねんりきいわをもとおす
物事を一生懸命に追求すれば、
どんな難題も乗り越えられるというのがこの言葉の要旨です。
この教訓は、中国の歴史書「史記(しき・中国前漢時代の歴史書)」の中に伝わる逸話、
「石に立つ矢」に由来しています。
中国前漢時代の将軍、李広が率いる軍勢が進軍中、
大きな石を見てそれを虎だと思い込み、矢を放ったところ、
予想外にも石に矢が突き刺さりました。
これは、どんなに大きな障害があろうとも、
一生懸命に努力すれば乗り越えることができるという意味合いを持っています。
終わり良ければ全て良し
読み方:おわりよければすべてよし
物事の最終的な結末が最も重要であり、
途中の過程は問題にならないというのがこの言葉の趣旨です。
この格言は、イギリスの劇作家で詩人のウィリアム・シェークスピア(1564年~1616年)の作品
「All’s well that ends well.(終わりよければ全てよし)」に由来しています。
【か行】
学問に王道なし
読み方:がくもんにおうどうなし
学問を追求する際に、手っ取り早い方法は存在せず、
どんな人も努力と苦労を重ねなければならないという趣旨です。
この教訓は、古代ギリシアの数学者ユークリッド(エウクレイデス)にまつわる逸話、
「幾何学に王道なし」から派生しています。
エウクレイデスはエジプト王プトレマイオスから
「幾何学を簡単に学ぶ方法はないか」と問われた際に、
「幾何学に王道なし」と答えたとされています。
勝って兜の緒を締めよ
読み方:かってかぶとのおをしめよ
戦いに勝利しても、安心して油断せず、
心を引き締めて慎重に行動せよという忠告の言葉です。
ここで言う「兜の緒」は、戦闘時に兜を頭に固定するための紐を指します。
勝利後にはなおも敵の反撃に備え、
用心深く行動すべきだという意味合いが込められています。
この格言は、戦国時代の武将である
北条氏綱(ほうじょううじつな・1487年~1541年、戦国時代の武将)
の遺言から派生しています。
果報は寝て待て
読み方:かほうはねてまて
運命に左右されるものは人の手に負えないため、
焦らずに適切な時機を待つべきだという意味合いです。
「果報」とは前世の行いに基づく報いを指し、
それが現世で幸運として訪れることを意味します。
この教えは、焦らずに適切な機会を待ち、
余裕をもって良い知らせを受け入れるべきだと教えています。
聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥
読み方:きくはいっときのはじきかぬはいっしょうのはじ
新しい知識や情報を得るためには、自分が知らないことを質問することは時に抵抗がありますが、
それを避けてしまうと、結局は一生その知識を得ることができない可能性が高まります。
したがって、「自分が知らないことを聞くのは恥ずかしい」と思うかもしれませんが、
実際には何も知らないままでいることの方がより大きな恥ずかしさを伴うことになるという意味です。
窮すれば通ず
読み方:きゅうすればつうず
苦境に立たされると、思いがけない解決策や新たな可能性が現れるという意味合いです。
この格言は、中国の占い書である「易経(えききょう)」の一節
「窮すれば即ち変ず、変ずれば即ち通ず、通ずれば即ち久し」に由来しています。
これは、「行き詰まったときは何か変化が起こり、変化があれば新しい道が拓け、
その道が開けば長い期間にわたり続くことができる」という教えを含んでいます。
清水の舞台から飛び降りる
読み方:きよみずのぶたいからとびおりる
大胆な決断を下す際の比喩です。
「清水の舞台」は、京都の清水寺にある絶壁に突き出た舞台を指します。
この場所から願いをかけて飛び降りることで、願い事がかなうか、
あるいは成仏できると信じられていました。
この行為には大きな覚悟が伴い、思い切った行動を象徴しています。
義を見て為ざるは勇なきなり
読み方:ぎをみてせざるはゆうなきなり
正義の行動を理解しているにもかかわらず実践しないことは、
勇気が足りないことを示しています。
この教訓は、中国の哲学者である孔子の「論語(ろんご)」に記された言葉です。
彼の教えは、理念を実践に移すことが真の勇気であり、
単なる知識だけでは不十分であると教えています。
来るもの拒まず去るもの追わず
読み方:きたるものこばまずさるものおわず
「去る者は追わず来る者は拒まず」とも言い表されます。
ここでの「来る者」は「くるもの」ではなく「きたるもの」と読みます。
他人が自分に寄ってきたときは歓迎し、逆に離れていく人には引き止めないという意味合いです。
中国の思想家である孟子が自分の考えを捨てて
他人を尊重する姿勢を示したことから生まれました。
自分のこだわりを捨てて他人の意思を尊重する。
柔軟な心を持つことが重要だと教えています。
鶏口となるも牛後となるなかれ
読み方:けいこうとなるもぎゅうごとなるなかれ
「鶏口」とは小規模なリーダーを指し、
「牛後」とは大きな組織で人に使われる立場になることを意味します。
「鶏口で終わるな、牛後になるな」とは、
小さなグループでの指導者である鶏口でになっても、
大きな組織で人に使われる立場にるなとう意味合いです。
小規模ながらも主導的な役割を果たす方が、
大きな組織の中で人に使われる立場になるよりも良いとされています。
この言葉は中国の「史記(しき)」から派生し、
「たとえ小さな国であっても一国の王として権威を保つことの方が大切であり、
大国に屈しその臣下に成り下がるよりも良い」という故事の中の一節
「寧為鶏口、無為牛後(寧ろ鶏口と為るとも、牛後と為ること無かれ)」からなります。
継続は力なり
読み方:けいぞくはちからなり
あらゆる努力や取り組みを継続することが、成功につながるという意味合いです。
小さなことや些細な事でも継続することで、夢や目標の達成が可能になります。
この教えは、宗教家である住岡夜晃(すみおかやこう・1893年~1949年)の「讃嘆の詩」から派生しています。
詩の中で「念願は人格を決定す、継続は力なり」という一節が、
持続的な努力が人の性格を形作り、力を生むことを強調しています。
住岡夜晃は、正しい念願を貫くことが真の強さであると説き、
怒りや腕力だけでなく、継続した努力が大切であると教えています。
光陰矢の如し
読み方:こういんやのごとし
月日は速さを持って過ぎ去るというたとえ。
まるで矢のように素早く進む時間を表現しています。
「光陰」の「光」は太陽のこと、陰は「月」をのことを表し、
時間や年月のことを指しています。
この格言には、時間がどれだけ速く過ぎていくかを強調し、
大切な瞬間を逃さずに生きることの重要性が込められています。
古くは中国の李益(りえき)の詩游子吟(ゆうしぎん)」という詩の一節「光陰如箭(こういんじょぜん)」に由来し、
日本でも鎌倉時代から南北朝時代にかけての曽我物語や、福沢諭吉の「旧藩情」などで引用されています。
この言葉を通して、今を大切にし、時の流れに逆らわず、生き生きとした瞬間を楽しむことが重要であると教えられます。
好事魔多し
読み方:こうじまおおし
幸せな瞬間には邪魔が入りやすいという現実を示唆しています。
喜びや成功が訪れた時こそ、油断なく注意を払い、さらなる困難に備えることが必要です。
この表現は、中国の古い諺に由来し、人生の波乱万丈さを認識し、
楽観的かつ慎重に生きるべきだと訴えています。
郷に入っては郷に従え
読み方:ごうにいってはごうにしたがえ
新しい場所や状況に適応する柔軟性を意味しています。
異なる土地や組織に身を置いた時に、その地の文化や慣習に敬意を払い、
適応する姿勢が重要だと教えています。
これは、新しい職場や環境においても同様で、変化に適応し協力していくことが成功への一歩となります。
この格言は中国の歴史的な教訓として受け継がれ、
異なる状況においても柔軟に対応する智慧を称賛しています。
弘法筆を選ばず
読み方:こうぼうふでをえらばず
真の達人はどんな状況でも輝きを失わず、
周囲の環境や道具の影響を受けないとされています。
この格言は、成功や失敗において自分の能力や努力が最も大切であることを教えています。
書道や筆跡において、真の才能は筆の善し悪しは関係なく、
その個々の腕前に宿るという言葉です。
このことわざは、僧侶であり真言宗の開祖である空海(くうかい・774年~835年)のことを指しています。
卓越した筆跡があれば、その才能は道具に左右されず、どんな状況でも輝きを放つと教えています。
虎穴に入らずんば虎子を得ず
読み方:こけつにいらずんばこじをえず
大きな成功を収めるためには、時には冒険をしなければならないという言葉です。
ここでの「虎穴」は、虎が住む洞穴であり、その中に入ることは危険であると同時に、
大きな成功が期待できるという意味が込められています。
「虎の子」は虎が大切に育てる子供であり、
この表現は大きな成功や報酬の象徴とされています。
要するに、何かを成し遂げるためには時にはリスクを冒さなければならない
という教訓が込められています。
このことわざの由来は、「後漢書」(ごかんじょ・中国後漢について書かれた歴史書)に登場する武将・班超が、兵士たちに「不入虎穴,焉得虎子(虎の穴に入らなければ、虎の子を捕らえることはできない)」成功には冒険が必要だと語った言葉からきています。
部下を励まして敵国の軍に突撃し、全滅させることに成功しました。
【さ行】
先んずれば人を制す
読み方:さきんずればひとをせいす
何事も、人よりも先に取りかかればあらゆる局面で有利な立場になれる。
この考えは、中国の歴史書である史記に由来しています。
「吾聞、先即制人、後則爲人所制」という言葉が由来とされています。
簡単に言えば、「先に行動すれば他者を制し、後に行動すれば他者に制される」という意味です。
この教訓は、先手必勝の戦略を示唆しており、自らの立場を強化し、
他者に対して優越性を確立するためには、常に先んずれることが不可欠です。
三方良し
読み方:さんぽうよし・さんぼうよし
三方とは、「売り手」「買い手」「世間」を指し、
これらが調和することが最良の状態であるとされています。
商売において成功するためには、売り手と買い手の双方が満足し、
さらに社会全体に対しても貢献することが必要です。
この考えは、江戸時代中期に活躍した近江商人たちの知恵によるものです。
彼らは日本全国や海外で商売を展開し、成功を収める一方で、
地域社会や広い意味での社会にも良い影響を与えることを心得ていました。
商いが三方良しの状態を保つことで、持続可能な成功を収めることが可能となります。
沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり
読み方:しずむせあればうかぶせあり
生活はまるで川の流れのように、
時には順風満帆でありながら、時には逆境に立たされることがあります。
この格言は、人生において喜びも悲しみも絶えず訪れるものであり、
厳しい状況にあってもめげずに前向きな姿勢を保つべきだと教えています。
「浮かぶ瀬あり」はつまり、
困難を乗り越えれば良い局面に巡り合える可能性があるという希望を示しています。
この言葉は、落ち込んだ友人や仲間を励ます際に活用されます。
親しき仲にも礼儀あり
読み方:したしきなかにもれいぎあり
仲が良いからこそ、相手に対して遠慮や礼儀を欠かさないようにしましょう。
この教訓は、親しい関係にある人々が争いや誤解を避けるためには、
相手への敬意を忘れずに接することが重要であると説いています。
古代中国の哲学者孔子が「論語(ろんご)」で礼儀の大切さを説いた言葉に由来し、
親密な関係においても礼節を守りつつコミュニケーションをとることが必要だと認識されています。
失敗は成功のもと
読み方:しっぱいはせいこうのもと
「失敗は成功の母」という場合もあります。
失敗は成功につながる重要なステップです。
アメリカの発明家であるトーマス・エジソン(1847年~1931年)の言葉
「私は失敗したことがない。ただ、1万通りのうまく行かない方法を見つけただけだ。」から着想を得たとされています。
この教えは失敗を機会と捉え、
その経験から学び改善することで成功に繋げるべきだと教えています。
過去の挫折にくじけず、積極的な態度で再挑戦することが肝要です。
初心忘るべからず
読み方:しょしんわするべからず
物事は慣れてしまうと慢心しがちなので、初めの心を大切にし続けることが重要です。
世阿弥が能楽(ぜあみ・1363年ごろ~1443年ごろ)の修行について語ったこの言葉は、
慣れや年齢によって生じる慢心を戒め、どんな時も謙虚な心を持ち続け、
自分の未熟さを自覚し続けることの重要性を説いています。
芸の向上に限りがないように、人生も絶え間ない学びと成長の過程であることを忘れずに。
少年老い易く学成り難し
読み方:しょうねんおいやすくがくなりがたし
年は若い時期が速やかに過ぎ去る一方で、
学問の修得にはなかなか時間がかかります。
このことから、青春のうちから時を無駄にせず、
精力的に学問に没頭することの重要性が説かれています。
中国南宋時代の儒学者である朱子(しゅし・1130年~1200年)の詞
「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず」に由来します。
時折、「少年老い易く学成り難し」と「一寸の光陰軽んずべからず」は別々に用いられることがあります。
勝負は時の運
読み方:しょうぶはときのうん
生活において勝ち負けは、その瞬間の運に左右されるものであり、
必ずしも強者が勝ち、弱者が負けるとは限りません。
このことから、勝敗には絶対的な規則は存在せず、
勝者は驕らず、敗者は慰めの言葉を得るべきだと説かれています。
太平記(たいへいき・作者、成立年不明、1318年~1868年の出来事を描いた軍記物語)の
一節「軍の勝負は時の運によることなれば、あながち恥ならねど」に由来しており、
戦局や生活の中での結果は運命に委ねられるものであると教えています。
人間到る処青山あり
読み方:じんかんいたるところせいざんあり・にんげんいたるところせいざんあり
「じんかん」と読む場合は、一般的には世間を指し、「にんげん」と読む場合は個々の人生を指します。
通常は前者の読みが一般的ですが、後者の解釈も妥当です。
「青山」とは、亡くなった者の骨が埋まる場所や墓を指します。
人はどこにいても、終わりには必ず自分の骨を埋める場所があるものです。
だからこそ、故郷だけが最終の場所ではなく、
自らの志を追い求めて広く活躍することが重要です。
月性(げっしょう・1817年~1858年、僧侶、思想家、教育者)の漢詩に由来しています。
男が志を立てて故郷を離れるとき、学び成果を上げなければなりません。
骨を埋める場所は必ずしも先祖代々の土地に限らず、どこにでもあるのです。
現代語に訳すと、「男が一度志を立てて故郷を離れたら、学業の成功を収めないかぎり、故郷に戻ることはない。骨を埋める場所はどこにでもあるからこそ、どこにいても精一杯活躍すべきだ。」となります。
人事を尽くして天命を待つ
読み方:じんじをつくしててんめいをまつ
自らの力を尽くした後は、残りは天命に委ねるという態度を指します。
事の結末は人の手には届かないことがあり、どんな結果であれ後悔はないという気持ちを表現するときに用いられます。
この表現は、中国の儒学者である胡寅(こいん・1098年~1156年)が著した「読史管見(とくしかんけん)」の中の「人事を尽くして天命に聴す(まかす)」という一節に由来しています。
自らの努力を惜しまず、そして物事には限りがあることを理解し、
最後は自然の流れに身を委ねる心の広がりを表しています。
好きこそ物の上手なれ
読み方:すきこそもののじょうずなれ
だれもが愛することには情熱が湧き、
それに対して学びや工夫が生まれるため、
自ずとスキルが向上するということです。
趣味とは、心から楽しむ活動。
それが技術向上のキッカケになります。
例えば、手芸や料理、音楽など、自分の好きな分野に没頭することで、
新しいスキルを身につけ、創造力が芽生えます。
趣味を通して自分の表現力や技術を磨くことで、
日常の中にも充実感と喜びが生まれます。
捨てる神あれば拾う神あり
読み方:すてるかみあればひろうかみあり
他人に見放される瞬間があるかもしれませんが、
同時に助け舟を出す人もいるという意味合いです。
不運や困難に直面しても、悲観することなく前向きに進むための言葉です。
この表現は、古くからの信仰である八百万の神(やおよろずのかみ・非常にたくさんの神々)から派生したものとされています。
人は一人ではなく、助け合い、支え合うことでより強くなり、
難しい状況も乗り越えられるのです。
善は急げ
読み方:ぜんはいそげ
好ましいと感じたことにはためらわず、直ちに実行に移すべきであり、
絶好の機会は逃さないべきだという意味合いです。
この言葉の源は、仏教の最古の経典である「ダンマパダ」の「善を為すのを急げ、悪から心を退けよ、善を緩(ゆる)くしたら心は悪事をたのしむ」にあります。
ここでの「善」は良い行いや道徳的な行動を指します。
大事なのは、行動に移すことで経験を積み、成長していくことです。
千里の道も一歩から
読み方:せんりのみちもいっぽから
どんなに遠い目標に向かう旅も、最初の一歩から始まるという意味合いです。
大きな成功も、最初の小さな一歩がなければ始まらないということです。
この表現は、古代中国の思想家である老子の教えが起源であり、
また日本では鎌倉時代に広く伝わり、「王函秘抄(ぎょっかんひしょう)」という書物にも「千里の行も足下からはじまる」という記述が見られます。
大きな夢や目標も、最初の一歩から始めることで現実のものとなります。
袖振り合うも多生の縁
読み方:そでふりあうもたしょうのえん
道ですれ違う人とのちょっとした触れ合いも、
前世からの因縁によるものだという意味合いです。
小さな出来事や他者との出会いも、
偶然ではなくすべてはご縁があって起こるものだと考える言葉です。
人は知らぬ間にたくさんの人と交わり、
一瞬の出会いが人生に深い意味を持つことがあります。
これはまるで、前世で結ばれた縁が今の瞬間に続いているかのよう。
幅広い人間関係が、前世からの縁が交錯して紡がれているのです。
「多生」や「他生」、どちらの表現も、過去や未来との繋がりを感じさせ、
一期一会の大切さを教えてくれます。
備えあれば憂いなし
読み方:そなえあればうれいなし
普段から事前に十分な備えをしておけば、
不測の事態にも心配することはないという忠告の言葉です。
人生は予測不能な出来事がつきもの。
しかし、準備を怠らずに進んでいけば、憂いや不安を取り去ることができます。
これは、儒教の経典である「書経」の教えから得たもので、
物事に対する準備は安心感となり、未来への不安を和らげる手助けとなります。
大切なのは、常に心の中に備えを持ちながら、前向きなステップを踏んでいくことです。
損して得取れ
読み方:そんしてとくとれ
もともとは「損して徳取れ」ということわざで、「徳」の部分が「得」に変化し、
「損して得取れ」になりました。
この表現は、一時的な損失を覚悟してでも、
一生懸命努力し徳を積み上げれば、いずれ報われるという考えを示しています。
困難や苦労を伴うこともあれば、損をしてしまうこともありますが、
その経験から学び、成長することで最終的には大きな利益を得ることができるというポジティブなメッセージが込められています。
これは、一見損に思える状況でも、根底にある「徳」を見逃さず、
未来への投資として受け入れることが大切だと教えています。
【た行】
鷹は飢えても穂を摘まず
読み方:たかはうえてもほをつまず
気高い鷹はどれほど空腹でも、人が作った稲穂を食べません。
これは、高潔な人はどんな状況でも、
不正な手段で利益を得ようとしないというメッセージを伝えています。
この言葉が示唆しているのは、誘惑や欲望に負けず、
清廉な態度を貫くことの尊さです。
たとえ飢えに耐えることがあっても、
品位を失わずに自分の信念を貫くことが、真の強さなのかもしれません。
他山の石
読み方:たざんのいし
他人の行動も、自らを向上させるための素材となるという意味です。
この言葉は、「詩経(しきょう・中国最古の詩集)」の故事にある
「他山の石以て玉を攻むべし(たざんのいしをもってたまをおさむべし)」から派生しました。
これは、「他人の誤りや悪行も、自らの向上のための手がかりとすべきだ」という教訓を含んでいます。
他人の経験や行動を学びの材料として受け入れることで、
自分の成長につなげることができます。
誰もがそれぞれ異なる経験を抱えているため、
他人の視点や経験を尊重し、学びと成長の機会と捉えることが大切です。
立つ鳥跡を濁さず
読み方:たつとりあとをにごさず
立ち去る際には、きちんとした後始末をするべきだという戒めの言葉です。
水鳥が飛び立った後も水面が澄んでいる光景から派生した表現です。
この教えは、別れや離れるときにも優雅で清らかな態度を持つことが、
自らの品格を示すものとされています。
過去の出来事や関係が終わるときにも、
感謝の気持ちと共に整理整頓された心情を持ち、
新たなステージに向けて前向きなステップを踏むことが重要です。
玉磨かざれば光なし
読み方:たまみがかざればひかりなし
優れた才能や素質を持つ人でも、努力を怠ればその輝きを発揮できないというたとえです。
この言葉は、中国の「礼記」(らいき・祭事、政治、儀礼の解説などを記したもの)の一節に由来しています。
「どんな宝石も磨かなければ美しい器具にはならない。人間は学問を修めなければ生きる道を知ることはできない」という古の言葉が、
まさに才能や能力を最大限に引き出すための努力の重要性を教えてくれます。
才能はあくまで原石であり、それを磨かなければ光り輝くことはない。
努力と学びを惜しまずに積み重ね、自分の宝石を磨き上げることが大切です。
足るを知る
読み方:たるをしる
「足るを知る者は富む」ということもあります。
満足を知る人は心が豊かという意味です。
この言葉は老子(ろうし・中国春秋時代の哲学者)の書籍である
三十三章の「知足者富」に由来します。
物質的な欲望に振り回されるのではなく、現状に感謝し、
心豊かに生きることが大切だと説くたとえです。
人生において、いくら富みに囲まれていても、
心が不足していれば本当の豊かさは得られません。
単純な幸福を見つけ、それに感謝することが真の富みとされています。
短気は損気
読み方:たんきはそんき
短気を起こすと、人間関係が悪化し、仕事も順調に進まなくなるなど、結果的には自ら損をすることを意味します。
この表現は人形浄瑠璃の演目「冥土の飛脚(めいどのひきゃく)」に登場する
「短気は損気の忠兵衛」に由来しています。
急いては事を仕損じることもあり、
焦りや怒りが逆に自らを傷つけることを教えています。
冷静な判断と忍耐が大切であり、短気を発揮せず、
他との調和を大切にすることが人生においても成功への近道です。
断じて行えば鬼神も之を避く
読み方:だんじておこなえばきしんもこれをさく
断固とした態度で行動すれば、その勢いに鬼神も避けて通るということから、
決断と実行の力でどんな困難も必ず乗り越えられるという意味合いです。
この言葉は中国の「史記」(しき・中国前漢時代の歴史書)に登場する故事から派生しています。
秦の始皇帝(紀元前259年~紀元前210年)は「長男を次の帝に」という遺言を残して亡くなりしたが、政治家の趙高(ちょうこう・不明~紀元前206年)は始皇帝の末子を帝にしたかったので遺言を書き換えました。
ためらう末子に「断じて行えば鬼神も之を避く」と言い、帝になることを決意させ、末子が帝になると趙高が実権を握りました。
もともとは悪事をそそのかす意味合いでしたが、良い方向に解釈されるようになりました。
生きる上での重要な教訓として、迅速な判断力と果断な行動が神や仏にさえ感動をもたらすとされています。
選択に迷ったときに、勇気をもって進むことで、逆境も乗り越え、新たな可能性が広がるのです。
塵も積もれば山となる
読み方:ちりもつもればやまとなる
小さな塵でも積み重ねれば大きな山になるということを指します。
この表現は、インド仏教の教えを伝えた仏教書「大智度論」94巻の
どんな小さなものも積み重ねて山を作ると、動かすことができない」から派生しています。
生活の中で小さな努力や工夫が、長い時間をかけて積み重なることで、
大きな成果や変化が訪れるという教えです。
一つ一つの小さな行動が、将来的には大きな結果を生む可能性があることを心に留め、
コツコツと積み重ねていくことが大切です。
罪を憎んで人を憎まず
読み方:つみをにくんでひとをにくまず
罪は嫌悪すべきだが、罪を犯した人まで憎むべきではないという意味です。
この言葉は孔子(こうし・紀元前552年~紀元前479年)の教えに基づいており、
「犯した罪は憎むべきだが、その人が罪を犯すまでには事情もあったのだろうから、
罪を犯した人そのものまで憎んではいけないという」という教えが由来です。
人は誰しも過ちを犯すことがありますが、その過ちに怒りっぽくならず、
むしろ理解と共感をもって接することが、人間関係を良好に保つ鍵となります。
罪を憎みながらも、人を憎まずに接することで、和やかで寛容な社会が築かれるでしょう。
沈黙は金、雄弁は銀
読み方:ちんもくはきん、ゆうべんはぎん
言葉が逆になっただけで同じ意味の「雄弁は銀、沈黙は金」という言葉もあります。
トーマス・カーライル(1795年~1881年・イギリスの思想家・歴史家)の言葉に倣って、
黙っていることが雄弁よりも価値があるという意味合いを持たせています。
言葉には限界があり、時には沈黙が一番強いメッセージを伝えることがあります。
感情や考えを言葉にするのではなく、黙って支えることが大切であり、
人とのコミュニケーションにおいても心の余裕を持つことが重要です。
鉄は熱いうちに打て
読み方:てつはあついうちにうて
鉄は加熱されて柔らかい時に形を作りやすいという考え方から、
良い機会を逃すべきではないというメッセージが込められています。
また、教育や修練も若いうちに積み重ねるべきだとも表現されています。
この故事は、機会は一度しかめぐってこないという命題を伝えています。
重要な判断や行動をする時に、迷いやためらいを挟まずに進むことが、
成功への近道であるとされています。
19世紀のオランダのことわざが由来です。
天は自ら助くる者を助く
読み方:てんはみずからたすくるものをたすく
自分で努力し、頼らずに物事に取り組む者には、
天が加護を与えて幸運をもたらすという意味が込められています。
努力を重ねることで、自分の可能性を広げ、困難を克服する力を身につけることができます。
天からの援助も、積極的な自己努力があることでこそ得られるものだという教えが込められています。
「Heaven helps those who help themselves.」という英語のことわざを
福沢諭吉(ふくざわゆきち・1835年~1901年、思想家、教育者)が訳したものです。
時は金なり
読み方:ときはかねなり
時間はお金と同じくらい貴重な資産であり、
無駄に過ごすことなく有益な使い方を心がけるべきだという忠告です。
時折疲れや忙しさに追われがちな現代社会において、
時間を大切にすることはますます重要です。
ベンジャミン・フランクリンの「Time is money」という言葉が由来で、
限られた時間を有効活用し、充実した人生を築くための助言となります。
【な行】
情けは人の為ならず
読み方:なさけはひとのためならず
他者に思いやりを示すことは、その人の利益だけでなく、
結果として自分にも良い影響をもたらすという意味が込められています。
「情けをかけることは、かえってその人のためにならない」という
誤った解釈が一般的です。
ご注意を!!
為せば成る為さねば成らぬ何事も
読み方:なせばなるなさねばならぬなにごとも
この言葉には続きがあり、正確には「為せば成る為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」です。
読み方は「なせばなるなさねばならぬなにごとも ならぬはひとのなさぬなりけり」です。
「為す」は行動や実践を指し、
全体の意味は「何かを成し遂げようとする強い意志があれば、どんな困難も乗り越えて成功できる。
成功できないのは、成し遂げようとする意志がないからだ」となります。
この言葉は上杉鷹山(うえすぎようざん・1751年~1822年)によって
次期藩主や家臣に授けられたもので、
アメリカの第35代大統領ジョン・F・ケネディが上杉鷹山を尊敬していたエピソードが知られています。
七転び八起き
読み方:ななころびやおき
四字熟語の「七転八起(しちてんはっき)」と同じ意味になります。
何度転んでも、そのたびに立ち上がることの重要性を表す言葉であり、
失敗や困難にくじけずに頑張り続ける姿勢を讃えます。
「七」や「八」は仏教の教えから来ており、多くの回数を表現しています。
人の生きざまの喩えとして使われています。
習うより慣れろ
読み方:ならうよりなれろ
もともとは「習うより慣れよ」といいました。
他人から学ぶことよりも、実際に物事を体験し、反復練習して慣れることが、
より確実で深い理解を生むという意味合いを持っています。
二兎を追う者一兎をも得ず
読み方:にとをおうものいっとをもえず
複数の目標を同時に追い求めることは難しく、
両方とも成功することが難しいという意味を持っています。
このことわざは、一度に欲張るとどちらも手に入らないと教えるもので、
西洋のことわざが起源となっています。
人間万事塞翁が馬
読み方:にんげんばんじさいおうがうま・じんかんばんじさいおうがうま
「塞翁が馬(さいおうがうま)」ともいいます。
このことわざは、人生や世の中の出来事は予測できず、思い通りにならないことを教えます。
思い通りにならないことに対して安易な感情を持たないようにという戒めとして使われます。
「人間」は中国語で世間、「万事」はあらゆること、「塞翁」は塞(とりで・外敵を防ぐために建設された城塞)に住む翁(老人)ことです。
このことわざは中国の前漢時代の「淮南子(えなんじ)」という思想書の中にある話に由来しています。
念には念を入れよ
読み方:ねんにはねんをいれよ
重要なことに対しては十分な警戒心を持ち、不注意なミスを防ぐためにも、
更なる用心深い行動が求められるという意味合いです。
能ある鷹は爪を隠す
読み方:のうあるたかはつめをかくす
著名な人物や優れた才能を持つ者は、普段は謙虚であり、
自己主張を控え、必要な場面でのみ実力を発揮すべきだというたとえです。
戦国時代の北条氏直時分諺留(ほうじょううじなおじぶんことわざどめ・)に由来し、
「鷹は非常に鋭い爪を持っているが、
獲物をとる際は直前まで相手にその爪の存在を悟られないように隠す動物だ」
という記述が基になっています。
残り物には福がある
読み方:のこりものにはふくがある
似たことわざに「あまり茶に福あり」があります。
誰かが残したものや最後に残ったものには、
思いがけずに価値あるものが含まれているという意味合いです。
江戸時代の浄瑠璃「伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)」で、
「余り茶に福がある、然(しか)らば今一つ」に基づいています。
「余り茶」とは使い古されたものや残り物のことであり、
そういったものには予期せぬ幸運があるとされています。
【は行】
背水の陣
読み方:はいすいのじん
川や湖、海などを背にした陣立てのことで、逃げ場のない状況にあえて立ち向かい、
最後の最後まで戦い抜く覚悟と勇気を表現しています。
このことわざの起源は中国の「史記(しき・中国前漢時代の歴史書)」で、前漢の名将が趙の軍と戦った際、川を背にして進軍し、味方に撤退の余地を与えずに決死の戦いに挑み、結果的に敵を破ったという歴史的エピソードに由来しています。
働かざる者食うべからず
読み方:はたらかざるものくうべからず
仕事をせずに怠惰な生活を送る者は、
その行動に対して食べる権利を持たないべきだという教訓を表しています。
新約聖書の「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」に由来しています。
また、ロシアの革命家であるレーニンが不労所得に批判的な立場から発言し、
広く知られるようになりました。
早起きは三文の徳
読み方:はやおきはさんもんのとく
「徳」は「得」と同じ意味です。
早寝早起きは、健康への良い影響や効率的な仕事・学習のために有益であり、
これを身につけることは大きな価値があるという言い回しです。
「三文の徳」とはわずかな得であり、中国の樓鑰(ろうやく・1137年~1213年、宋時代の文学者)の詞
「早起三朝當一工(三日続けて早起きすれば一人分の働きに匹敵する)」がこのことわざの由来となっています。
日本に伝わってから「三朝」が「三文」に変化し、
奈良や高知といった地域の風習や法令に結びついて広まったと考えられています。
【奈良が由来という説】
江戸時代中期に制定された「生類憐れみの令」(しょうるいあわれみのれい)に基づき、
怠惰な生活を避けるために庶民が早起きをし、鹿の死骸を確認したことから由来しているとされます。
【高知が由来という説】
江戸時代の土佐藩が治水対策として堤防を築く際に、
早朝から土を固める作業に参加した者に三文の報酬を与えるという措置が、
このことわざの起源となったとされています。
百里を行くものは九十里を半ばとす
読み方:ひゃくりをいくものはくじゅうりをなかばとす
百里の道を歩む者は、九十里でやっと半分と考えよという意味合いが込められています。
何事も終盤に差し掛かると、苦難が増え、課題が難しくなるため、
途中の九割が半分と同等の難易度だと自覚し、最後まで気を抜かずに頑張り抜くよう忠告しています。
このことわざは中国の「戦国策」(せんごくさく・戦国時代の説話集)の一節
「詩云、行二百里一者半二於九十一、此言二末路之難一」に由来しています。
人の振り見て我が振り直せ
読み方:ひとのふりみてわがふりなおせ
他人の善悪や模範的な行動を観察し、
それに触発されて自分の言動を見直し改善することが大切だと教えています。
深い川は静かに流れる
読み方:ふかいかわはしずかにながれる
深い川は水の流れが速くなく、穏やかであるという特性から、
真に優れた人や考え深い人ほど、大げさな仕草や騒ぎ立てることなく、
静かに深い思索をしているというたとえです。
この表現は英語の「Still waters run deep.」を日本語に訳したもので、
深い水域が騒がしくないことから、内に深い知識や思慮があることを示唆しています。
武士は食わねど高楊枝
読み方:ぶしはくわねどたかようじ
たとえ生計が厳しい状況であっても、
自分の状況を悟らせず、品格を保つことが大切だという教えです。
「高楊枝」食後にゆうゆうとつまようじを使うことを指し、
武士は食事ができなくても、優雅な仕草であたかも食事をしているかのように見せるべきだとの考えに由来しています。
また、逆に物事を我慢することを指して「やせ我慢する」とも解釈されます。
冬来たりなば春遠からじ
読み方:ふゆきたりなばはるとおからじ
厳しい冬を経て、必ず春が訪れるという希望の意味を持つたとえです。
このことわざは、イギリスの詩人パーシー・ビッシュ・シェリー(1792年~1882年)の
「西風に寄せる歌」から派生しています。
シェリーは「「If Winter comes, can Spring be far behind ?(冬が来るなら、春が遥かにあり得ようか?)と詠み、
冬が訪れれば春も遠くないだろうとの言葉が由来です。
故きを温ねて新しきを知る
読み方:ふるきをたずねてあたらしきをしる
「温故知新」という四字熟語と同じ意味です。
古い出来事や知識を追求し、そこから新たな知見や理解を得るべきだと説くたとえです。
中国の哲学者孔子(こうし・紀元前552年~紀元前479年)の言葉に由来しています。
「故きを温ねて新しきを知らば、以て師となるべし」という教えは、
過去の経験や知識を温めることで、
新しい発見や理解を得る上での師となることができるという意味を含んでいます。
細き流れも大河になる
読み方:ほそきながれもたいがになる
小さな川も、たくさん集まって大きな川になる。
小さな努力も続けていれば大きな成果を得ることが出来る。
同様に、些細なスタートや努力も多くの人々と共有されることで、
大きな成果に繋がることを表しています。
【ま行】
蒔かぬ種は生えぬ
読み方:まかぬたねははえぬ
種をまかなければ、芽が出ることはない。
同様に、努力や行動を起こさない限り、
望む成果や成功は得られないという意味合いを持つことわざです。
待てば海路の日和あり
読み方:まてばかいろのひよりあり
時化(しけ・海が荒れること)が続いても、
じっと待つことで必ず航海に適した穏やかな天気がやってくる。
今は逆境や苦しい状況でも、辛抱強く待てば好機が巡ってくるという希望的なたとえです。
昔の中国のことわざ「待てば甘露の日和あり」が起源で、
日本に伝わる際に「甘露」が馴染みにくいため、「海路」に変化したとされています。
実るほど頭を垂れる稲穂かな
読み方:みのるほどこうべをたれるいなほかな
学びや徳が深まるにつれて謙虚な心を持つことの美徳を讃える言葉です。
稲穂が実り重くなるほど、その頭を謙遜な様子で垂れることから、
人はどれほど優れた存在であっても、謙虚さを忘れずにいることが大切だと教えています。
このことわざは、詠人不明ながらも、
パナソニックの創業者松下幸之助氏が信条としていたことでも知られています。
人は学び続け、深まるほど、謙虚さを失わずに歩むことが求められるのです。
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ
読み方:みをすててこそうかぶせもあれ
深い困難や窮地に立たされたとき、自らを捨て身になって突き進むことで、
やがて浅瀬にたどり着くことができるという言葉です。
困難な状況にあっても決して諦めず、覚悟をもって進むことが成功への鍵であると教えています。
自らの命を懸ける覚悟があれば初めて、逆境を乗り越えて物事を成し遂げることができるのです。
【や行】【ら行】【わ行】
良い花は後から
読み方:よいはなはあとから
急いで手に入れるよりも、じっくりと待って本当に価値あるものを手に入れる方が
より美しいものであると説く言葉です。
早く咲く花よりも、後から咲く花の方が美しいとされ、
焦らずに適切な時を待つことの重要性を教えています。
人生においても、急がず焦らず、
大切なものを待ち望むことが時には最良の選択となるでしょう。
災い転じて福となす
読み方:わざわいてんじてふくとなす
災難や困難な出来事が逆に良い方向に転ぶことを指す言葉です。
逆境や苦境から学び、成長し、最終的には幸運に結びつくという意味合いが込められています。
中国の「戦国策」(せんごくさく・戦国時代の説話集)や
「史記」しき・中国前漢時代の歴史書)に由来する
四字熟語「転禍為福(てんかいふく)」が基となっており、
困難な状況も前向きな気持ちで受け止め、
積極的に乗り越えていく姿勢が求められています。
笑う門には福来たる
読み方:わらうかどにはふくきたる
笑顔や明るい態度が良いことを引き寄せ、幸福をもたらすと説く言葉です。
いつも笑顔で過ごすことが大切であり、人々が楽しい雰囲気でつながることで、
幸運が訪れるとされています。
また、お正月遊びの「福笑い」が由来となっており、
笑顔と幸福の関連性を楽しみながら教えています。
和をもって尊しとなす
読み方:わをもってとうとしとなす
人々がお互いに協力し、調和することが最も大切だと説く言葉です。
この価値観は十七条憲法の第一条にも登場し、
聖徳太子の教えとして後世に受け継がれています。
言葉の背後には、人々が和を重んじ、
共に協力し合うことで社会全体が尊ばれる状態が生まれるという理念が込められています。
また、このことわざは孔子の論語にも由来しており、
「和を以て貴しと為す」という教えが存在します。
十七条憲法の中でこの言葉が示されている背景には、
古代日本の支配層であるヤマト王権が、
統治の基本原則として「和」を重要視していたことがあります。
異なる部族が共存する中で、争いごとを避け、
調和を大切にすることが平和な社会を築く秘訣とされました。
この思想は後に、日本独自の文化や伝統に深く根ざしていくこととなりました。
まとめ
さて、ことわざや格言を通じて100の言葉をご紹介しました。
これらの言葉は、読者の皆さんが日常の中で新たな気づきや励ましを見つける手助けとなるでしょう。
言葉にはそれぞれの背景や歴史があり、時には個人の経験と共鳴するものがあります。
座右の銘として選ぶ際は、自らの信念や目指す方向に合ったものを選ぶことが重要です。
選んだ言葉が自分自身の行動や考え方に深く影響を与え、
より豊かな人生を築く一助となるでしょう。
複数の言葉が心に響いた場合は、それらを組み合わせて座右の銘にし、
日々の生活に取り入れてみてください。
いつも新しい視点を持ち、前向きに物事に取り組む力となることでしょう。
参考になると幸いです。